
人と虫との生物学的な大きな違いとは何でしょうか?
それは脊椎動物と無脊椎動物であると言えるでしょう。
無脊椎動物は脊椎動物のような高度な脳は存在しておらず、頭部神経節(極小脳)とそれにつながる胸部神経節・腹部神経が脳に近い働きをしています。
生物学的には大脳皮質がなければ感情や痛みの感覚はあり得ないとされますが本当にそうであるか?を自分なりの主観も交えて考察したいと思います。
虫は痛みを感じない?!

虫が痛みを感じるかどうかは、まだはっきりと分かっていません。しかし「痛みを感じない」という学者のほうが多いようです。
人間やほかの動物がケガをした場合、まず神経を通して「ケガをした」ということを脳に知らせます。
それを脳が「ケガをしたのか、じゃあ痛いんだ」と判断して「痛い」と感じることができます。
しかし、虫の体にはその神経がなく、連絡ができないというのです。ケガをしたことは理解できても、痛みを感じとることができないか、痛くてもぜんぜん平気なのだそうです。
すべての生き物は長生きをしたいと思い、なるべく生きのびられるよう、さまざまな能力をもっています。私たち動物にとって「痛い」と感じることは大切な機能です。
もし痛みを感じることがなければ、ケガをしても気がつかず、簡単に死んでしまうでしょう。虫は「痛い」と感じることはありませんが、痛みに代わる機能があり、命の危険を感じ取とることはできる、という学者もいます。
痛みとは高等動物のような長い寿命を持つ生き物が、その生き物の生を全うさせることに一役買っている。いやな経験から学習する能力が、未来を脅かす出来事を避けるチャンスを与えてくれているとされています。
虫の場合は寿命が短すぎる為、痛みによる学習が生涯にとってそう重要ではなく、逆に痛みによって行動が制限される方が生き残りに不利であると考えられます。
虫に痛覚はあるの?

そもそも知覚神経系は、からだの状態、身体外の状況を知るためのシステムであり、様々な刺激を中枢神経系へ伝達することにより生体の防御系としての働きをになっています。そして、その刺激の中でも侵害刺激(怪我など)は“痛み”という意識を生じさせます。
つまり、大雑把に考えると、末梢組織・神経と脊髄以上の上位中枢があれば、人間で言うところの“痛み”という感覚を認知する事ができる事になります。
よって哺乳類、鳥類、爬虫類はもちろん、両生類や魚類にもそのような感覚はあると思われます。
しかし、昆虫に関してはそのような複雑な神経回路がありませんので、人間で言う“痛み=苦痛”は感じていない可能性が高いです。しかし、“痛み”と言う感覚を自らを危険から守る為の危険回避の感覚と捉えるのなら、昆虫にも何かしらのそれに近い別の感覚があるかもしれません。
私自身は子どもの頃、カマキリ同士を戦わせるような残酷な遊びをしていましたが、噛まれた方がビクッと反応して振り払おうとするのを見ていると痛がっているように思えました。
けれども、人間でも熱いものに触れると考えるより先に手を引っ込めるように、虫の場合も条件反射による危険回避行動にすぎず痛みは感じてないとも考えられます。
虫に感情ってあるの?
「感情」とは何かと言いますと、それは大脳辺縁系の情動反応によって我々の身体に表れる様々な「身体反応の結果」を喜怒哀楽などパターンに「分類することが可能となった状態」を言います。
大脳辺縁系には身体内外からのあらゆる知覚情報が入力されており、ここではその入力を基に「利益・不利益の判定」を下し、「情動反応」を発生させています。
大脳辺縁系にこの情動反応が発生しますと、中枢系の覚醒状態が亢進されたり、自律系を介して身体の生理状態が変更されるなと、我々の心身には様々な変化が発生します。このような変化を「情動性身体反応」といい、感情とはこのようにして身体に外に表れ出た「反応の結果を分類したもの」です。
例えば、
- 「表情が急変した」
- 「顔が真っ赤になった」
- 「呼吸が荒くなって拳まで握っている」
このような身体反応を見れば誰でも「その人は怒っている」と判断することができます。
そして、どうして自分のそのような反応が発生したのか、この理由が分かれば、その人は自分が怒っていると自覚することができます。
このように、「感情」とは大脳辺縁系に発生した情動反応の結果が「分類の可能になった状態」をいいます。ですから、本人が自覚していなくとも感情の分類はできますし、大脳皮質のない動物にも感情は発生します。
それらを踏まえて虫には感情があるかと考えてみます。
昆虫の中には“記憶”や“学習”さらに“情報伝達”などという高次な機能を備えているものも存在することが分かってきています。
昆虫にもある種の意識があり最新の論文によると、昆虫の脳のスキャンからは、そこに意識が宿る容量があることや、自己中心的な振る舞いをすることが明らかになりました。
虫に感情はあるのか、実験!
以下、実験結果を抜粋したものです。
これまでの研究で、ミツバチが悲観的認知バイアスを持つことは知られていたが、最新の知見によると、甘いご褒美によってミツバチ科のマルハナバチは、意思決定に変化が現れ、喜びを表すポジティブな感情が生じることが判明したそうだ。
今回の『サイエンス』誌に報告されたのは、ロンドン大学クイーン・メアリーの研究員クリント・ペリーによるミツバチ科、マルハナバチの研究である。
ペリー博士のチームはマルハナバチを訓練して、青のような色で印をつけられた戸口に飛んでご褒美を得られるようにした。
緑に塗られた戸口に飛んで行ってしまうと水しか得られない。この訓練を終えた後、飛び立つ前に少量の砂糖水をマルハナバチに与えてみた。このときは紫のような曖昧な色で戸口を塗った。
飛び立つ前に砂糖水を与えられたマルハナバチは、そうでないマルハナバチに比べて、曖昧な色を塗られた戸口へ素早く向かっていった。
また、マルハナバチを放す前に、短い間つかんで、外敵からの襲撃を模してもみた。すると、砂糖水を与えられたマルハナバチの方が回復が早かった。
さらに、ドーパミンのようなポジティブな状態に関連するとされる脳内物質の効果も阻害してみた。ドーパミンが阻害されると、砂糖水は効果を発揮しなくなった。
ポジティブと呼ぼうが、テンションが上がると呼ぼうが、好きな呼び方でかまわないが、とにかくその脳状態はマルハナバチの意思決定にバイアスを与えているようだった。
以上のことからマルハナバチに原始的な感情のようなものが認められるとも考えられます。
ここから私の経験則での事例をもとに考察させていただきます。
昔飼っていたカブト虫には個性(正格差)があった

私が子供時代に何匹か飼っていたカブト虫を戦わせていた時に思ったのですが、カブト虫にも気の強いのと気の弱いのがいるようなのです。
カブト虫を長時間に戦わせていると、そのうちに嫌気がさすのか逃げ出す行動をしますが、気の強い個体はなかなか逃げずに戦いに積極的です。
気の弱い個体は短時間で早々に逃げ出し、その後は戦いに消極的で争いを回避するよう他の個体に出会うと逃げ回ります。
しばらく時間を置くとまた戦うようになるのですが、再び気の強い個体と気の弱い個体では同じように行動が分かれてしまいます。
意外なのは飼ってた中での体の小さい弱い個体が気が強くて、体が大きく相手を力で圧倒している感じの個体が気が弱くて最後には逃げる事でした。
それを見て当時の子供心に、カブト虫一匹ずつにも個性があるんだと感じました。
箱入り娘の蝶との交流

昆虫館などで蝶を放し飼いで育てているスペースに出入りできる施設がありますが、そこで飛び回っている蝶は、あきらかに人間を怖がってないんですよね。
人の周りを平気でヒラヒラと飛び回っているし、顔を近付け花の上で蜜を吸う姿を間近に見ていても逃げる気配すらない。
幼虫の頃から人の手で育てられていて人間を敵だと認識してないんだろうけど、それを学習しているだろう事に本能だけでなく感情のようなものを感じます。
そもそも私の考えでは、自然界での昆虫は人や動物が近づくと逃げるものでそれは生き残るための本能によって支配された行動と思い込んでいました。近寄ってくる巨大生物が、敵か?味方か?なんて考えてたら簡単に食べられたりしてしまうでしょうからね。
けれども昆虫館の蝶は、人間を敵とは思っていなくて親近感を感じる存在で、もしかして外に放たれると鳥なんかにあっという間に食べられるようなお嬢様に育ってしまっているのかもしれませんが、それでも本能だけで生きているわけでなく、自ら判断して行動する能力を持っているように思えてしまいます。
まとめ
虫は痛みを感じるかについては、人間のように転げまわるような痛みなどとは無縁であると思います。
寿命が短い為、痛みを覚えることでその時の危機的状況を回避するよう努めるより、痛みによって行動が制約される方が不利であるとの考えに説得力は感じます。
よって痛覚も無いか、あっても人間のそれとは全く別物であるように思います。
感情については、子供のころは空想力による擬人的な考え方は大多数の人が感じていたと思うのですが、私も虫を含めた人間以外の動物や品物にも感じていたと思います。
大人になると虫の感情的に見える行動も、本能による機械的な動きに過ぎないと思うようになり、当時の昆虫学的にもそれが主流であったようです。
けれども、最近の研究では昆虫に感情は有るらしいとの考えが広まりつつあるようです。
ある意味で感情そのものの定義も曖昧なもののように思われるのですが、昆虫の感情が研究されることで感情の定義も今後変わっていくのかも知れません。